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世界一のカメ


おはようございます!

あなたの人生を変える メールコーチ、名倉 正です ( ´ ▽ ` )ノ

昨日は、 長嶋 茂雄さんのお話をしました。

いつも最初はうまくいかない。

いつも最初は失敗だった。

そして、そこから 這い上がることで、

誰よりも高いところまで、 登っていった長嶋さん。

だからこそ 日本中が惚れ込んだ スーパースター。

そして、

そんな長嶋さんが

監督になると ある男と出逢います。

後に、 二人はそろって 国民栄誉賞を 受賞することになる

運命の出逢いです。

そして、 彼の中に、 自分と響き合うものを 感じたのでしょう。

心底惚れ込んで、 つきっきりで指導していくことになります。

その男の名前は、 『松井 秀喜』

長嶋監督が、 前夜のくじ引きの練習のかいあって!? 引き当てた注目の高校生でした。

実は、 その当時 松井は大の阪神ファン!。

阪神以外が交渉権を得た場合は、 大学進学もほのめかすほど、、、

長嶋監督は、 考えます。

くじで当たって 交渉権を得ても、 うちに来てくれないかもしれない、、

でも、 どうしても 松井に来てほしい!!

そこで 長嶋さんは、

監督就任会見の前に、記者に こんな質問をするように 頼みました。

「星稜高校の松井秀喜選手が 大いに注目されていますが、 監督はどうお考えですか?」

そして、 この質問に、 長嶋さんは力強く答えます。

「ほしいですね! この手で是非育ててみたい逸材です!」

これを 偶然自宅のテレビで見た 松井父子は大興奮し、

巨人入りの意思が高まったそうです。

くじ引きで 当たるともわからない。

会見を見ているかも わからない。

でも、 やれることは、 なんでもやる!

それが長嶋茂雄という男でした。

そして、 くじ引きで交渉権を獲ると、 自ら直接電話をかけました!

この情熱が 松井の心を動かし、 入団はスムーズに決まることになります。

でもね、

入団した当時。

松井は ぜんぜん上手い選手じゃなかった。

松井も自身のことを 『努力しなければ 人並みにもなれない』

と語っているくらい。

とにかく 不器用な男でした。

そこで、 松井の可能性を信じていた 長嶋監督は、 「4番1000日計画」 を打ち出します!

この男を、

『ジャイアンツの4番に!

そして 球界の4番に育てたい!』

長嶋監督は、 新たな夢にむかって走りだします。

そして 長嶋監督と松井による マンツーマンの素振りチェックが始まります。

毎日

毎日

毎日、

毎日、、

毎日、、、

その練習は、

1日も休む事なく 続いていきます。

巨人が優勝した時の V旅行の話があります。

厳しいシーズンを戦い抜いての ご褒美旅行。

選手たちは全員、 この時ばかりは、 野球のことは忘れて羽をのばしていました。

ある男をのぞいて、、

元木大介選手と松井秀喜は同部屋で、 元木が遊び歩いて 深夜3時にホテルの部屋に戻ってきました。

もう寝ているであろう松井を 起こしちゃいけないと思って、 そーーっと部屋に入ると、

ベッドに松井がいない。

そして バルコニーから なぜか 『ドン、ドン、、』

と音がする。。

こわいな〜と思いつつ、 恐る恐る元木大介が覗いたら、

バルコニーには、 スクワットをしている 松井の姿がありました。

深夜の3時にですよ( ;´Д`)

更に、 旅行中も バットを常に持ち歩き 素振りをかかさず行っていたそうです。

松井が高校の頃から 憧れていた選手に 清原という選手がいます。

天才、清原です。

後に、 巨人でチームメイトになった清原は、 『現役時代に嫉妬心を抱いた選手はいますか?』 という質問にこう答えています。

『松井秀喜が成長していく姿は うさぎとカメ。

あの通りだなと思いました。

彼が巨人に入団した時、

とにかくひどかった。

でも、

長嶋監督が 1000日計画を打ち出して、

2人で

毎日、毎日

着実に積み重ねていった。

まさにカメのように、、

そして、 松井が巨人最後の年の バッティングを見た時。

ほんまに、 負けたと思った。」

松井は、 プロの世界では、 誰よりも歩みの遅いカメでした。

不器用な松井が 巨人の4番に定着するまで、

実は 1000日では足りずに、

2000日以上かかっています。

それでも

不器用な男は、

毎日毎日積み重ねていくことで、

憧れの天才をも超えていきました。

長嶋監督は、 当時を振り返り こんな話をしています。

『私が監督をしている時の9年間で、 一番練習をした選手は松井です。

3年、5年、10年先の 自分のバッティングが どうなりたいと思い描いて、

それを信じて、

毎日欠かさず 練習ができる選手でないと大成しないんです。

松井は、 それを唯一できた選手です。

松井は、 器用と不器用で見ると、 不器用な方の選手です。

でも、 9年間、 彼は1日も練習を怠らなかった 唯一の選手でした。』

長嶋監督の マンツーマン指導は、

松井が4番に定着した後も続き

長嶋監督が監督を退く その日にも続いていました。

監督勇退の夜、 松井は涙を流しながら 素振りを行ったそうです。

そして、

日本一のホームランバッターに 成長した松井は

世界へ挑戦していきます。

実は、 大リーグに行っても、 長嶋監督の素振り指導は 続いていました。

松井が大リーグで スランプにおちいった時、

長嶋監督に国際電話をかけます。

長嶋監督は、 「バットを振ってみろ」 という。

松井は、 受話器を置いて その場で 延々、素振りをはじめました。

そして、 素振りが100回を超えた頃、

長嶋監督は、 『それだ!

それでいい!

この音なら大丈夫!』

といって電話をきりました。

そして、 その翌日の試合で 松井はホームランを打ちます。

国際電話から聞こえる バットをふる僅かな「音」

これだけで、 わかってしまう。

自分も現役時代、

何千、何万と、、

数え切れないほど、 素振りをしてきた。

そして、 マンツーマンで 何千日も、 松井の素振りの音を聞いてきた。

だから、 手に取るように わかるんです。

松井は、 大リーグで

最初はなかなか打てずに 『ゴロキング』 と呼ばれました。

2006年には

人生初の骨折をし、

10年以上続いた、 連続試合出場が途切れます。

それからは、 故障との戦いが続き、

万全の状態で、 試合に望めることは ほとんどなくなりました。

でもね。

長嶋監督から受け継いだ 不屈の精神は、

こんな時こそ 力を発揮します。

松井はこんなことを言っています。

『生きる力とは 成功し続ける力ではなく、

失敗や困難を乗り越える力』

まさに

松井と長嶋監督が 道を切り開いていった力 そのものですね!

そして、 2009年

松井は、 野球世界一を決める舞台 ワールドシリーズで大活躍します!

チームを優勝に導き、

日本人として初めて ワールドシリーズのMVPに輝きます。

松井 秀喜は、 世界一のヤンキースで4番をつとめ、 MVPにまでなりました。

最初、 『ゴロキング』と呼ばれた選手は、

いつしか、 ニューヨークでも とびっきり愛される選手になっていました。

それは同時に

『松井 秀喜を球界の4番に育て上げる』 という 長嶋監督の信じ続けた夢を 叶えることでもありました!

松井秀樹は引退会見時、 プロ野球で 最も思い出に残るシーンは?

という質問がありました。

巨人で優勝した!

たくさんの勝負を決める ホームランを打った!

世界一のヤンキースで 4番をつとめた!

ワールドシリーズで MVPを獲った!

そんな、 たくさんの 輝かしい瞬間を体験してきた 松井の答えは、、、、

松井にとって 最も思い出に残るシーンは、、

その答えは

「長嶋監督と2人で素振りした時間」

でした。

本気で、 信じてくれる人がいること、

本気で応援してくれる人がいること、

こんな ありがたいことはないです。

それは、 無限の可能性を開く 大切な鍵です\(^o^)/

応援し、

応援される人生は、

ものすごくパワフルですよ〜〜! ( ´ ▽ ` )ノ

さあ!

今日の一歩は、

確実に最高の未来を つくっていきますよ〜〜! \(^o^)/

 
 
 

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